続こたつむり主婦の気ままな暮らし

17歳年上の旦那さんと小学4年生の娘、息子2歳を持つこたつむり主婦です。 専業主婦目線で日々の出来事や子育て、 憧れの北欧インテリアについて綴ります。

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【厳しい現実】~示された治療方針~

      2016/11/12

娘の誕生 病気 生まれた時の心境の続きになります。

誕生からあっという間に、NICUがある大きな病院へと運ばれた娘。

さらに、それから4日後、ベットの空きが出たとのことで、これから先、長くお世話になることとなる

【福岡市立こども病院】のNICU

へ転院しました。

ここから、娘と私たち家族の本当の闘いが始まったのです。

 病名確定

 検査の結果、娘の病名が判明。

今まで、全く聞いたことがない、とても難しい名前でした。

娘が患わなければ、一生、知ることがなかっだろう名前。

一回聞いただけじゃ覚えられなかったのを覚えています。

最初の病院で「疑い」として挙げられていたものとはどれも違っていました。

こども病院でも年間5名入院してくるか来ないかの稀な病気でした。

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示された治療方針

娘の治療方針が決まりました。

最低でも手術が2~3回必要

 段階を追って、手術をしていくことになる。

経過によっては手術不適応の可能性もある。その場合、予後は…。

全ての手術完了の時期としては、4~5歳だと。

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私を追い詰めたもの

この頃の私は、ただただ、自分を責め続けていました。

「妊娠中、何か悪いことでもしてしまったのか?」「私のせいだ」「時間よ戻れ」「妊娠初期に戻って、健康な体を作りなおしてあげたい」

情けない話ですが、全く現実が受け入れられなかったんです。

そして、娘の将来を具体的に心配する私に帰ってくる医師の言葉は、どれも

成長してみないとわからない

だったんです。

もう不安で不安で、ただただ苦しかったです。

そして、この時の私は、「まだ本当の現実が分かっていなかった」と後から思い知らされることになります。

厳しい現実

生後1ヶ月を過ぎ、詳しい検査の結果、第一ステップであった1回目の手術の日程が決まりました。

私は、その手術説明で本当の現実を知ることになります。

私は、とにかく娘の将来を心配していました。

幼稚園や学校に行けるようになるのか、体育はできるか、結婚できるか…

そんな私に、先生はこう言ったんです。

手探りの手術になる

と。

お分かりでしょうか?

この時はまだ、「将来」なんて考えられる状況にはなかったんです。

いかに後遺症を残さずに命を救えるか

極めて厳しい状況だったんです。

しかも、私に説明してくれたのは、世界的に有名なスーパードクター。

これ以上の医師はいないわけです。

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 私を支えてくれた家族、そして言葉

 娘の状況が刻一刻と変化していく中、夫や実母、姉達には娘のこと以外にとてつもなく大きな不安がありました。

そう!それは、

わたし←自分で言うな

元々、超メンタル虚弱体質だった私。

結婚できただけで奇跡。

そんな私が、こどもを生む決意をしたことは、人生最大の賭けだったのです。

なのに、こんなことになってしまった。

実際、実母は、生まれて来た娘のことよりも、私の心配の方が強かったようです。

それでも、実母は私にこう言いました。

娘をいろんな幸せを見つけることのできる強い人間に育てるためには、母親であるアンタが強くならないといけない

と。

 どんなに辛い状況でも、つぶれることができない。逃げることができない。

これが、「親になるということ」なのだと、当時、まだ母親になりきれてなかった私は思いました。

夫は、一歩一歩確実に進んで行こう。娘が生まれてきて良かったと思うような家庭を作って行こうと言ってくれました。

姉達は、ただただ、私の不安を聞いてくれました。

そして、誕生から57日目に、最初の目標だった1回目の手術を迎えることになります。

続く。

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ちなみに、現在、娘【小学2年生】は、元気にたくましく成長中!(*´∀`*)

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