17歳上夫、10歳女の子と3歳男の子を持つこたつむり主婦です。専業主婦目線で日々の出来事や子育て、憧れの北欧インテリアについて綴ります。

続こたつむり主婦の気ままな暮らし

娘の闘病記 子育て

生後2ヶ月半【退院】~泣かせない子育てと叶わなかった完母への思い~

投稿日:2015年9月9日 更新日:

生後72日目に、ついに退院の日を迎えました。

待ちに待った退院でした。

でも、娘を病院の外に出すことが、怖くて怖くてたまりませんでした。

無事に1回目の手術を終えた娘でしたが、病気が治ったわけでは全くありませんでした。

1回目の手術は、「お家に帰れるようにするためだけの手術」であり、病気を治療した手術ではなかったからです。

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泣かせない【子育て】

サチレーションも低いまま。

医師からは、娘は、生まれながらにして、「エベレストの頂上にいるようなものだ」と言われていました。

退院数日前に、生まれてからずっとつけられていた医療機器が娘の身体から初めて全て取り外されました。

NICUに入院中もICUでも病棟でも、毎日毎日チェックできていたサチレーションも血圧も脈拍ももうわからない。

機械はもう教えてくれない。

これからは、自分で、娘の顔色や唇の色で娘の状態を判断しなければいけなくなる。

もう、たまらなく不安でした。

娘は、泣くと唇が真っ黒になっていたのですが、この頃はまだその顔色にとても慣れることはできていませんでした。

「泣くと身体に負担がかかる」という恐怖から、もうただただ抱いて、泣きやむことを必死に願いながらオドオドするだけで精一杯でした。

退院にあたって、医師から、「泣かせない子育て」をするように言われていたので、とにかくもう精神的に追い込まれていました。

ただでさえ、初めての子育てで不安なのに、「泣かせない子育て」をするように言われ、自分が娘を育てられるのか、守れるのか、もう不安で不安で気がおかしくなりそうでした。

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便秘で急患センターへ

退院にあたって、もう一つ、医師から注意するように言われていたこと。

それは「便秘」でした。

理由は、やはり、便秘になると、「娘の身体に負担がかかるから」です。

娘は、生まれてからずっと水分制限がありました。

退院の6日前に、初めてフリーの許可が出て、やっと直母フリーまでたどり着きました。

(私は、娘が生まれてから、おっぱいで育てたい!という強い思いから搾乳を続けていました。)

そのため入院中、ウンチが出ないことが多々あり浣腸をしてもらうことがしばしば。

退院して、お家で便秘になってしまった時は、「綿棒刺激」というやり方で便を出してあげるように言われました。

やり方も入院中にレクチャーしてもらっていました。

が、退院翌日、綿棒刺激(3回)では全く効果がなく、お腹にウンチが溜まって苦しそうな娘。

(その時の私にはそう見えました。今考えれば、前前日に病院で便を出してもらってたんだからそんなに焦る必要なし。)

私はもうパニックですよ。

すぐに、こども病院に電話。

近くの病院で浣腸をしてもらってくださいとのこと。

タクシーを呼んで、娘を必死で抱えて近所の病院へ駆け込みました。

時間外だったにも関わらず、しっかり対応してもらえたものの、ここで、また自分の情けなさに直面します。

初めての病院にかかるわけですから、私は母親として「娘の病気」のことをちゃんと説明しなければいけなかったわけですが、この時の私は「娘の病気」の説明をするだけで、涙が出て来て、涙をこらえることができなかったんです。

なんとか、無事に浣腸をしてもらってウンチが出て帰宅。

私はここでも自分の情緒不安定さゆえ、周りに気を遣わせてしまったんです。

叶わなかった完母への思い

私は、娘が生まれる前から娘を「完母で育たい」と強く思っていました。

出産した病院も「母乳育児」に力をいれている病院で、「母乳育児」の良さを教えられていたし、私の姉2人も完母で子供を育てていたので母乳育児、よりにもよって完母への憧れが強かったんです。

だから、私は、出産直後から「搾乳」を始めました。

私にできることが、「搾乳したおっぱいを娘に届けること」しかなかったというのもありますが。

ありがたいことに私の執念からか、初産での搾乳にも関わらず、母乳はたくさん出てくれました。

多い時で一回の搾乳で200ml近く出ることもありました。

うれしくてうれしくて、一生懸命でした。

先が見えない道のりでしたが、完母を諦めるつもりはありませんでした。

(ノイローゼですね)

なのに、娘がICUから病棟へ移り、私も一緒の入院生活がスタートすると、慣れない入院生活と子育て、病気や将来に対する不安や搾乳時間がちゃんと確保できないことなどから、どんどん私のおっぱいは、減ってしまったんです。

搾乳したくてもできない

それまで搾乳に没頭することで、自分を保っていた部分があったので、このことも入院中の私を追い詰めました。

結果、退院後の生後76日目。

搾乳で冷凍していた母乳のストックも無くなってしまい、ミルクを足しての「混合育児」をスタートせざるおえなくなりました。

頻回授乳で、もう一度おっぱいを立て直したかったのですが、娘の哺乳力の弱さや身体への負担を考えると、完母を諦めるしかありませんでした。

悔しくてつらかったです。

<生後81日目(退院9日目)>image

実家にて、娘の健やかな成長を願って、私の母と娘とお雛様と一緒に記念撮影。

それからすぐに、2回目の手術に向けて動き出します。

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<お詫び>

娘を出産した当時、私は、娘と同じような病気で生まれたこどもの1年後2年後、もしくはそれ以上の元気に成長した情報を手に入れたかった。

でも、無かったんです。

そんな経験から、「私の経験が、娘の成長が、今まさに、当時の私と同じような心境にいる方の少しでも参考になれば、力になれば」という思いから、娘の闘病記を一からまとめる予定にしていましたが、「気持ちを表現すること」の難しさに直面し、現在、続投を検討中です。

私の文章で、気分を害されたみなさま、大変申し訳ありませんでした。

娘は、現在、3度の手術を無事に乗り越え、元気いっぱい、普通の生活を送れています!

闘病記はここでストップさせますが、今後、当ブログには、元気いっぱいの娘がちょこちょこ登場しますので、そんな娘の様子が、情報が必要な方に伝わりますと幸いです。

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